東京高等裁判所 昭和52年(う)205号 判決 1977年6月15日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、被告人作成名義及び弁護人植村泰男作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
弁護人の控訴趣意第一(法令適用の誤りの主張)について
所論は、要するに、幇助犯の罪数は、幇助行為自体を標準として決定すべく、本件のように被告人の幇助行為が一個で、正犯である足助重範の二回の各道路交通法違反(いずれも無免許運転行為)の結果が生じた場合には、観念的競合として処断するのが正当であるのに、被告人に二罪の成立を認めた原判決には、法令適用の誤りがある、というのである。
しかし従犯の罪数は、正犯の罪数に従うものと解すべきところ、記録によれば、正犯の足助重範は、原判示二回の各無免許運転行為により、昭和五〇年一二月一八日、東京地方裁判所において、各別の道路交通法違反の罪として、併合罪加重の規定を適用されて処罰されており、右各違反行為は、日時場所の異なるものであるから各別の犯罪が成立するものというべく、従つて、本件につき原審が正犯の罪数を標準として二個の幇助罪の成立を認めたことは正当であつて、原判決には法令適用の誤りはない。所論は独自の見解に立つものであつて採用できない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第二(事実誤認の主張)について
所論は、被告人の本件幇助行為以前においても、前記足助は無免許運転行為をしていた事実があるので、同人の原判示同種事犯が、本件犯行に近接した日時に行なわれたからといつて、被告人の本件行為との間には法律上の因果関係があるとはいえず、原判決には右因果関係についての事実誤認がある、というのである。
しかし原判示事実は、原判決挙示の各証拠を総合すれば、所論の点をも含めて十分に認めることができ、当審における事実取調の結果を合わせ考えても、右判断を左右するに足りない。
記録によると、前記足助が、被告人の本件犯行前である昭和四九年一〇月ないし一一月ころに、自家用自動車を無免許で運転したことのある事実は、これを認めうるけれども、もともと幇助犯は、教唆犯と異なり、実行行為者の決意の存在を前提として、有形、無形の方法をもつて援助し、その決意を強めることも含むものであるから、足助が被告人の本件犯行以前において、同種事犯を行なつていたからといつて、そのことだけで、その後の実行行為を予見し、援助する行為をもつて法律上の因果関係がないとすることは失当である。すなわち被告人は、原判示国際運転免許証(以下免許証という。)を足助に交付することが、同人の無免許での反覆運転行為を予見、認容し、かつ、その自動車運転資格を仮装させて、無免許運転の禁止を免がれ、運転行為を容易にさせる方法であることの認識を有していたものであつて、足助もまた右免許証の入手をもつて、一応有免許者として運転資格を仮装しうる有効な手段であると考え、その取得費用約二五万円を被告人らに支払つたものであることが認められ、このことに、足助は右免許証取得後自動車の運転を反覆していたこと及び運転時には右免許証を携帯し、警察官からの提示要求に備えていたことなどを合わせ考えれば、被告人の本件行為が、足助の犯行を有形的にも無形的にも容易ならしめたものであることは明らかであつて、被告人の本件行為をもつて、道路交通法違反幇助罪に該当するとした原判決に、所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。
弁護人の控訴趣意第三及び被告人の控訴趣意(各量刑不当の主張)について
記録によると、本件は、運転技術不十分の無免許者に対し、利欲目的に、不正に入手した免許証を交付し、その反覆運転と危険性を助長させたものであつて、免許証の不正入手については共犯者土屋哲雄が中心となつたものであるが、被告人も足助に対する直接交渉を担当し、その分担も単なる補助的なものではないうえ、被告人は、昭和四八年四月一四日、千葉地方裁判所において、詐欺罪により懲役二年六月に処せられ、本件当時上告中であり、とくに自戒すべき立場にあつたことなどを考えると、その犯情は軽視できず、当審における事実取調の結果(被告人の上申書の記載を含む。)を参酌し、被告人において積極的に本件犯行に加担したものではなく、免許証の不正入手の方法等にも暗く、本件のみの共同犯行であつて、現在強く反省していること及び本件共犯者らの各量刑との比較等所論指摘の被告人に有利な諸事情を十分参酌しても、原判決の量刑が不当に重いとは認められない。
よつて刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を負担させないことにつき同法一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。